2012年12月26日星期三

【女子バレー】竹下佳江が語る「銅メダルまでの道のりと現在」

【女子バレー】竹下佳江が語る「銅メダルまでの道のりと現在」
ロンドン五輪で28年ぶりにメダルを獲得した全日本女子バレーチーム。出場権を逸したシドニー五輪予選の時代から一貫してトスを上げ続けた司令塔の竹下佳江はロンドンで、そしてそこに至る長い道のりの中で、何を感じ、どう考えて行動してきたのか。あらためて振り返ってもらった。

―― まずはロンドン五輪について振り返ってください。3位決定戦に臨むに当たっては、どんな気持ちだったのでしょうか。

竹下:とにかくメダルがかかった試合なので、3位と4位じゃ全く違いますし、全員で『メダルを獲る』という気持ちを持って臨んだ試合でした。

―― 実際にメダルを獲ってみていかがでしたか。

竹下:……ううん、難しいですね。素直に嬉しいという気持ちが一番。でも、そのときのことを言葉で表現しろと言うのは難しいです。本当に、言葉にしたらそれだけになっちゃいますね。

―― 最も鍵になった試合はどれでしょう。

竹下:準々決勝の中国戦ですね。中国戦に関しては、周りには負けるんじゃないかと思われていたと思うし、勝率で行ったら負け越していますし、分の悪い相手ですが、オリンピックに関しては何が起こるかわからない、そこに賭ける気持ちが中国より上回った結果だと思っています。

―― 「自分のことを頑張ったって言いたい」とコメントされたそうですが。

竹下:そんなことも言いましたね(笑)。自分自身、本当に頑張ったと思います。いろんなことがありましたし、長い道のりだったなというところですかね。

―― オリンピックの時には、普段されていないテーピングを人差し指にしていたので、「あれ?」と思った人も多かったようです。

竹下:直前のスイス合宿で骨折してしまったんです。でも、私のせいでオリンピックでメダルを獲るという計画を乱すわけにはいかない。だから監督やスタッフには伝えたのですが、他の選手には言わずに、添え木を当てて石膏で固めてコートに立ちました。

―― パフォーマンスにも影響はあったのでしょうか。

竹下:多少あったと思います。でも、眞鍋監督は私を信じて使ってくれましたし、コーチ・スタッフ陣は本当にきめ細かく対応してくれました。選手達には骨折の事実は言わなかったのですが、治療していたのは知っていたと思います。私のトスがぶれることもありましたが、そんなトスをみんな必死で打ってくれた。そのことが私を励ましてくれました。

―― ここまでにいたる長い道のりの中で、竹下選手は本当にいろいろな経験をされています。多くの人に聞かれているとは思いますが、シドニー五輪予選で女子バレー史上初の五輪不出場となってしまった際に思ったことは。

竹下:よく聞かれますけど、そうそう言葉にはできないですよね。そこに立った人間にしか味わえないことを味わっていますし、いろんな人に叩かれましたし、とにかく周り中、みんなが敵に見えました。

―― シドニー予選敗退後、一時バレー界からは引退されました。

竹下:シドニーのことがあってから2年経ってやめたのは、いろんな事情があったから。チーム事情もあったので、自分だけではどうにもできない問題もあった。このときの2年間は義務感だけでバレーをしていました。心には大きな傷を負っているのに、チームに迷惑をかけたくないからコートに立つ。コートに立ったら勝たなくてはならない。苦しくてたまらなかった。オリンピックには未練がありましたけど、あのときは切り捨てるしかなかった。

―― バレーから離れて、どんなことをして生きていこうと思っていたのですか。

竹下:一度バレーから離れようというのが一番で、具体的なビジョンはなかったです。世の中の人がみんな敵に見えるし、人間不信になったので、離れて時間をおきたかった。それまでは家族と暮らしていたり、NECの合宿所暮らしでしたから、初めて一人暮らしをしたので、新鮮でした。ハローワークにも通いました。

―― 確かに、当時は竹下選手への風当たりは相当なものだったと記憶しています。

竹下:そのときにそうやって批判的なことを言ってる人に対しても、私の中では恨んでいるわけではなかったです。だから、見返してやろうとも思わなかった。みんな人間なんで、そのときそのときの状況で言うことは変わってくる。仕事からいろんなことを書かなければならないでしょうし。

―― そんな中で、V1に降格していたJTで復帰を決めた。

竹下:私は、私のことを純粋に必要としてくれる場所があって、そこに戻ることができました。JTの当時の部長さんと、一柳昇監督が何度も何度も私の所に来て、「うちでやってくれないか」と。最初は「うん」とは言えなかったのですが、本当に何度も足を運んでいただいた。それで、たとえ少ない人数でも、自分を求めてくれる人の期待に応えられるようにしようと思いました。だから、おふたりには、自分が閉ざしていたものを開いてもらったという意味ですごく感謝しています。

―― 代表にまた復帰されてアテネ五輪の出場権を獲得したときは?

竹下:やっとオリンピックの舞台に立てるという思いもあったし、出場権を獲れなかったときのメンバーに対しても、何かしらの思いは伝えられることができたと思いました。

―― アテネの切符を獲ったときは泣かれていましたね。

竹下:どういう感情で涙に変わったかは言うのが難しい。前のことがあったので、気持ちが高ぶったのはあります。

―― アテネ五輪5位、北京五輪5位、そしてロンドンの銅メダル。5位の壁が越えられたのは?

竹下:どの監督にもすごくいい部分があって、いろんなことを経験させてもらった。眞鍋さんになってからは、今までにないことをどんどん取り入れていきました。その効果が出たのだと思います。それはたとえば、各コーチを分野で分けたり、データ分析をすごくクローズアップされたりとか、今までと違う部分が出てきていたと思います。

―― 眞鍋監督がセッター出身だったのは心強い?

竹下:それはありますね。どうしてもセッターをやっていないとわからないことはいっぱいあるので。感覚だけでものをいわれても、セッター同士だとわかったりとか。トスについての要求も他の監督よりずっと増えてくるし、具体的ですし。眞鍋監督は、私がすごく小さい頃からプレイを見て、尊敬していた方だったのでよかったです。

―― 代表になると年齢の幅が大きくなると思うのですが、コミュニケーションをとるときに考えていることはありますか。ジェネレーションギャップを感じたり。

竹下:生活の上ではそんなに一緒にいるばかりではないので、そうはないのですが、バレーに関してはありますね。それこそ、今の若い子たちには、言葉ではっきり伝えてあげないとだめなんだろうな、と。考えて、やってくれるだろう、じゃだめなんです。わかるように説明してあげないと。かといって一方的にわーっと言ってもだめなんです。お互いに会話ができる状況にしないといけないですね。代表歴も短い子、長い子いますけど、眞鍋監督になってからは、日の丸を背負うということはこういうことなんだ、責任があるんだ、国民の期待を背負って、注目度も上がるんだということをしっかり言われている。なかには甘い子もいますが……。それは監督が個人的に呼んで、ちゃんとしなさいと言ったりしていました。すごいなと思います。

―― 今までたくさんのチームで経験があると思いますが、一番は?

竹下:どのチームというのはあげられないですね。メダルを獲ったこともいい思い出ですけど、今となれば、すごくいやな、試合に負けて、体育館に帰って走り込んだりとかもいい思い出なので、そう考えると、どれもよかったなと思います。嫌な思い出だけのチームはないですね。

―― 竹下選手にとって理想の選手とは?

竹下:「好きな選手は」とか「憧れていた選手は」とかよく聞かれるんですけど、私自身(159cmという)とても特殊な選手じゃないですか。そういう中で育ってきているので、自分が生きるために、自分らしくやるしかないと思ってやってきました。今回代表にもう一人ちっちゃいセッター(中道瞳・159cm)が入ったんですけど、それが私の中では嬉しかった。ちっちゃなバレー選手にも道が一つできたと思うんです。バレーを始めようと思ってる子からファンレターをもらう中でも、小さいからどうしようと思っているという子がたくさんいる。バレーを通していろんな勉強ができると思うので、やることに意義があると思うんです。そういう子たちに道が開けたなと思います。『失敗しても得るもんがあったらいいよ』と言ってくれる大人がいるほうがいい。周りにいる大人は責任重大ですよ!

―― 長期休養を発表されていますが。

竹下:今シーズンは休養すると発表させていただき、しばらくゆっくりしながら、どうしていこうかというのをしっかり考えて、次の道に進みたいなと思います。いろいろな意味で選択肢は広がりますし、リスクもありますけど、自分がどうしたいのかをしっかり考えたいですし、ちょっとゆっくりしたいですね。これまでは休んだ、休んだと言っても、休んでいないので。オリンピック中も怪我してたこともありましたし、本当にオリンピックに賭けてきたので、とにかく一度間を空けて、という結論に至ったんです。一度テレビでリーグの試合をちょっと見ましたけど、なかなか自分の家でみんながリーグ戦をやってる姿を見ることはないので、不思議な感覚ではあります。今は自分の生活に慣れるのに必死で、みんながやってる試合に何かを言う余裕もないほどです。

―― 眞鍋監督には『復帰したらまた代表に挑戦して欲しい』と言われています。

竹下:また代表に、と言ってもらえるのはすごく幸せなことだと思います。

―― ご結婚されたのも大きいのでしょうか。

竹下:そんなに。周囲はみんなそういう目で見るじゃないですか。でも自分の中ではそんなに変わったというのはない。旦那のために何かしなくちゃならないと背伸びすることもない。やれることを自然にやっているだけです。もうちょっとやった方がいいのかも知れませんけど(笑)。

―― 他の選手とメールだったり電話だったり、やりとりはしてるんですか?

竹下:しますね。普段から連絡をとる人はとっています。やっぱりリーグに入るとみんな敵になっちゃうので、いつもだったらなかなか連絡できないんですが、今はフリーなので、気兼ねなく連絡とれて、そこはいいですね。

―― 他競技の選手とも?

竹下:結構人見知りだし、群れるタイプじゃないので、(伊調)馨ちゃんとか、澤(穂希)さんとかくらいしかないです。個人競技では『そんなの気にしなくていいじゃん』というのを、バレーのような団体競技は気にしないといけないというのがわかったりして、おもしろいですね。大友愛とも『ちょっと違うよね』ということ話をしたのですが、たぶん向こうは向こうで、私たちのことがおかしかったりするんでしょうし。澤さんとは同年代ですし、いろんな話をします。普通に競技の話も多少しますが、プライベートのことの方が多いですね。でも私たちはあまり女子女子してないです。おっさんぽいです(笑)。気を遣わなくていいし、自然でいられるので楽しいんです。二人ともすごく代表を長くやっているし、チームの中心にいたし、似ているのですね。ざっくりしています(笑)。

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中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari【関連記事】 【女子バレー】世界最小リベロ、佐野優子。新たな挑戦の地はトルコに 【女子バレー】日本、28年ぶりメダル獲得の理由とこれから 【女子バレー】12名の代表が決定。五輪メダル獲得のカギは? 【女子バレー】五輪出場権獲得にも、突きつけられた厳しい現実 【女子バレー】ミス多発で完敗。韓国戦で見えた「日本の生命線」

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